目次
- 戦後賠償としてのODA
- 戦後賠償をめぐる各国の攻防
- 東南アジアとの良好な関係構築のための資本財賠償
- 戦後賠償が日本に与えた影響①日本の重化学工業の発展に貢献
- 戦後賠償が日本に与えた影響②工業原料の確保
- 「共存共栄」が問題解決の糸口に
1.戦後賠償としてのODA
前回の記事では、日本のODA(政府開発援助)のはじまりは戦後創設された開発途上国援助の国際機関コロンボプランの加入を発端とし、東南アジアの国々との結びつきを強めるためにODAが活用されたことについて述べた。今回の記事では、戦後の賠償政策の一環としてODAが活用されたことについてまとめる。
2.戦後賠償をめぐる各国の攻防
日本の賠償問題は1951年のサンフランシスコ平和条約の条項に集権するまでの時期と最後の南ベトナムへの賠償が決着する1950年代までの2つの時期に分けられるが、この記事では1951年までのケースを取り上げる。アメリカは日本の自立を支え、共産主義の浸透を防ぐことを日本に期待し、マッコイ声明によって、日本の中間賠償(軍需工場の機械など日本国内の資本設備を求債国に移転・譲渡すること)を緩和し、対アジア冷戦戦略を補強することが期待された。しかし、フィリピン等の求債国が中間賠償中止の声明に強烈な反対論を示したことにより、具体的な賠償協定は講和成立後の関係国相互間の中で決定をするという含みを持たせ、無賠償の原則は修正が加えられた。賠償を要求することができた国はフィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、オーストリア(パプア・ニューギニア)、オランダ(ニューギニア)、イギリス(香港・シンガポール・マラヤ連邦)、アメリカ(グアム、キスカ、アッツ)があった。これらは日本との二国間協定を結ぶことによって役務賠償(被賠償国が求償国に対して金銭などの支払い能力が不足している場合は、求償国との合意のもとに技術や労働力を提供する形をとる)を要求することができた。
3.東南アジア諸国との良好な関係構築のための資本財賠償
3章では、東南アジア諸国と良好な関係構築のために日本が行った施策について言及する。当時日本は、年間5億ドル~年間6億ドルを上回る朝鮮特需で潤っていたが、朝鮮特需が早期に終わることが予測されると東南アジアの市場開拓を求め賠償問題の早期解決を求めた。東南アジア側も、反政府ゲリラを鎮圧するために物資の供給による民生の安定と資本財の拡充による生産の回復を求め、それらの物資を日本の賠償で受け取ることを期待し、交渉が活発化した。議論の対象となったのは賠償金の金額と支払い方式であった。前項で述べたように、具体的な賠償協定は二国間で決定するという含みは持たせながらも、原則役務での賠償が日本には義務付けられていた。しかし、役務だけでの賠償では求償国との良好な関係を築けないと考えた当時の首相吉田茂は、賠償国への基本方針を役務の支払いだけでなく、資本財による賠償方法を盛り込んだ協定をとることにより、求償国との健全な関係を構築することを目指した。この結果、日本は大半の賠償支払いは資本財で行われることとなる。
4.戦後賠償が日本に与えた影響①日本の重化学工業の発展に貢献
日本の賠償問題は、戦後14年を経過して一応の解決が達成され、平和条約第14条は日本と東南アジアの関係再形成の起点となり、それに続く二国間交渉の決着は日本と東南アジアとの関係の発展をもたらした。4章では、戦後賠償が日本に与えた影響の1つ目として、日本の重化学工業の発展に貢献したことについて述べていく。賠償は実施過程において日本の輸出市場を開拓する効果をもたらし、日本人の専門家が派遣される役務賠償では人的接触が多く、日本製品への親しみや理解が生まれ、日本の商品の輸出に寄与するという効果をもたらした。このような役務賠償は少ない経費で大きな効果をあげた。また、賠償の大半が資本財の支払いになることによって軽工業品輸出市場から機械・設備に代表される重化学工業製品市場へと転換していく呼び水となり、日本の造船・電機、自動車などの重工業の育成・発展を促進する上で大きな役割となった。
5.戦後賠償が日本に与えた影響②工業原料の確保
5章では、戦後賠償が日本に与えた影響の2つ目として、工業原料の確保について述べていく。賠償として支払われた資本財は、多くの場合、東南アジア諸国の資源開発事業、あるいはそれに関連した投資環境整備に多く投入された。特に、資本財支払いの対象となった経済インフラ整備が、当時日本で計画されていた鉄鉱石・石油、木材など資源関連の民間海外事業の東南アジア進出を投資環境面で支援した。例えば、ラオスの錫鉱山開発のための発電機の供与や、インドネシアの木材工場のように賠償の支払いとして資源開発関連分野に重機が投入され、資源開発を支援したケースがある。これらの資源開発支援が東南アジア地域での資源開発を進め、日本の重化学工業化に不可欠な原材料の安定供給に一役買った。
6.戦後賠償が日本に与えた影響②工業原料の確保
本稿では、戦後賠償として日本のODAが活用されたことについてまとめた。第2章では、日本の経済自立を支援し、反防の砦にしたいアメリカがマッコイ声明によって中間賠償の中止を画策したが、フィリピンなどの反対もあり具体的な話し合いは二国間で行われるよう妥協が成立したことについて述べた。第3章では、平和条約によって定められた役務賠償を超えて賠償を行うことで関係の改善を図ろうとしたことについて述べた。第4章では、戦後賠償の資本財の輸出と役務賠償により派遣された専門家との交流が日本の輸出市場を開拓するきっかけとなり、日本の重化学工業の発展に貢献したことについてまとめた。第5章では、資源開発を支援することで重化学工業の原料の安定供給に貢献した事についてまとめた。1951年の国会答弁では、池田勇人蔵相は、このようなODAの活用について「誠意を持って賠償に準ずるとなれば、できるだけ国力を発展して、そうして東南アジア開発の一助にもという、賠償並びに開発の気持ちでやっていかなければならぬ。お互いが共存共栄の立場で行くならば、おのずから解決がつく」と発言し、吉田茂首相は回想録に、「役務賠償の原則を超えて、これらの諸国の渇望する資本財を賠償物件の中に組み込むことをあえてしたのも、賠償支払いを(東南アジアの共存共栄の視点から)より一層効果的にしたい所存からでたものである」という記述を残している。黎明期のODAは共存共栄を目指し、その理念は今日のODAにも受け継がれている。
<文=末田椋資>
【参考】
大海渡桂子,2019,『日本の東南アジア援助政策――日本型ODAの形成』,慶應義塾大学出版.
吉田茂,『回想十年』,162-163頁.
当ライターの前の記事はこちら:日本ODAのはじまり――東南アジア関係の形成とコロンボプランへの加入
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