最近、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。をkindleで買って読んでいます。
大学生の時に一度読んだので、10年ぶりぐらいに読んでいるのですが当時とは違った所が気になります。
一番気になるのは、登場人物がほぼだれも働いていないことです。
ほとんどの登場人物が資産家か資産家の子供で、仕事と言っても資産の管理ぐらいしかしてません。なので、物語の中で日が進んでも仕事にいく描写も無いし、日中何をやっているかというと登場人物が集まって話しをしています。
その話の内容が、かいつまんでいうと身近な恋愛の話しだったり、宗教の話しだったり、作中で持ち上がってくる事件の話しだったりして、その部分がむちゃくちゃ面白いです。
ドストエフスキーとかトルストイとかロシア文学の古典と言われるものは、登場人物が自身の思考や感情をすごく丁寧に描写します。また、登場人物が他者の思考や感情をものすごく深読みして、それがすべて作中で描写されます。良く小説を読む時には登場人物の思考や感情などの行間を読もう。ということが言われますが、ロシア文学の古典を読むと思考や感情がほぼすべて書いてあるので行間を読む余地は少ないような気がします。(その点がすごく好きなのですが。。。)
話しが脱線しましたが、お金持ちで自由な時間がたくさんあるから色々なことを深く(時に必要以上に深く)考えられるんだろうな。と全然『カラマーゾフの兄弟』の作品のテーマ関係ない部分で考えさせられました。
翻って、我々の日常生活に目を向けると、毎日の生活を送るのが大変で、自由に考えたり、深く考えたり、集まって議論を交わしたりということがほとんどなく、19世紀のロシア文学作中で出来ていたことが、21世紀の日本で出来ていない。本当に世の中が良くなっているのかと感じてしまいます。(時代の話しではなく、資産階級かどうかという話しなのだとも思いますが。)
資本主義が進んできて世の中に物は溢れているのに、人生に余裕を感じている人は少ないように思います。日本は世界的に見て幸福度が低いと言われていますが、その理由は、いろんなことを自由に考えたり、深く考えたりする機会が少ないからなのではないかと感じます。
『カラマーゾフの兄弟』の中では、いろんなことを考えすぎて逆に不幸なんじゃないかと思えるような方もでてきますが、たまには時間に余裕があるフリをして、普段は考えないようなことを自由に深く考えてみると良く生きられるのではないでしょうか。
私もやらなくてはいけないことは日々あって、小説なんて読んでる時間ない。と思うことがありますが、あらためて『カラマーゾフの兄弟』を読み返してみて、たまには立ち止まってみて普段使わないことに時間を使うのは人生を良く生きるために必要なんだと感じました。
〈文=株式会社シグマライズ 代表取締役社長 社会保険労務士 斎藤 清二(@saitoseiji0124)〉
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