フィットネス界隈には、“優劣をつける空気”を感じることがあります。
特にSNS上では、
- 「大会に出ている人=偉い」
- 「身体が細い人=発言権がない」
- 「競技者としての実績がなければ、教える資格がない」
といった風潮を目にすることがあります。
ジムの現場でも、「身体が小さい人は筋肉量が多い人よりも発言権がない」「身体が変わってない人はやり方が間違っている」といった価値観が広がっている場面を見ることがあります。
しかし、フィットネスの目的は人それぞれです。
健康維持のために運動する人もいれば、美容やストレス発散、競技力向上のために取り組む人がいます。優劣をつけたり他人を批判するのは、フィットネス本来のあるべき姿ではありません。
目次
- 身体の差は努力の差だけではない
- フィットネスは”広く、優しく”あるべき
- まとめ
1. 身体の差は努力の差だけではない
フィットネスにおいて、挙上重量や筋肉量、大会実績で評価するのは、あまりにも視野が狭いと感じます。身体の差は“努力量の差”だけではなく、骨格・遺伝・既往歴など、さまざまな要因があります。
もちろん、筋肉量が多い人や大会に出場する人の努力や覚悟は素晴らしいことで、尊重されるべきだと思います。ただし、それは「他人を否定する権利」にはなりません。
2. フィットネスの本質
フィットネスの本質は、
- 人と比べるものではなく
- 誰かを見下すことでもなく
- 他人の生き方を批判することでもない
はずです。
週2回30分だけ軽い運動している人と、週5回本格的に鍛えているボディービルダー。
あるいは、ウェイトトレーニングはせずヨガやピラティスだけの人。
どれも同じく素晴らしいことです。
フィットネス人口がわずか3%と言われる日本で、仕事で疲れている中でもジムに通う、あるいは自宅で身体を動かしているだけで立派な努力です。
だからこそ、大会実績や身体の大きさだけで優劣をつける文化は、間違っています。そもそもフィットネスは、人と比べるものではありません。比較対象は他人ではなく、“過去の自分”です。視野を広くとるべきで、お互いを認め合うことこそが、フィットネスの本来あるべき姿だと思います。
3. 最後に
大会に出る人も、出ない人も、フィットネスに関わるすべての人は、それぞれの事情と目的を抱えながら努力をしています。そこに優劣はありません。
ボディメイクやトレーニングは、ときに
「何を目指しているの?」
「結局、見せるための筋肉ではないか」
と批判の対象になることもあります。
誰かに見せるためであっても、自分のためであっても、
「継続してフィットネスに取り組んでいる」という事実そのものに価値があります。
その目的が健康でも、美容でも、競技でも、あるいは単なる楽しみであっても、どれも否定されるものではありません。
フィットネスは、本来もっと自由であるはずです。
他人を測るための道具ではなく、お互いの目的や取り組みを尊重する文化が大切だと感じます。そんな考え方が、もっと広がっていくことを願っています。
<文=森 寛衆>
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