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組織と人について~人との向き合い~②

こんにちは。蛯名です。今回は前回の続きです。

前回の記事:組織と人について~人との向き合い~①

今回の記事では、前回に引き続き、自分が人と組織に向き合うことを仕事にしたいと考える理由を過去の経験から説明していきたいと思います。

小学校時代

小学校は組織と向き合う喜びを感じていました。それはサッカーゲームです。ゲームで、実際に監督になって、クラブを経営しながら試合をするモードが大好きでした。特に、試合よりも選手の獲得などのいわゆる企業の人事的なことが好きでした。このポジションに、何歳の、どこの国籍の、どんな実績の選手を獲得しようか。いったんあいつに目星をつけておくけど、交渉うまくいかなかったら最悪ユースから昇格させようなどと、小学四年生くらいから考えていたわけです。また、それが楽しかったため、サッカーが上手くなるためのものではなく、そのような経営に関する本ばっか読んでました。

国内外問わず読んでましたね。

また、スポーツは違うけどマネジメントという観点で、

これも読んでました。今振り返るとすげえなと思います。

中学時代

中学時代は葛藤しつつも、組織をうまく回せているということに喜びを感じてました。それは中学のサッカークラブです。僕は小学校の時は、クラスの担任の先生にもっと中心でリーダーをやってほしいと言われるたびに、めんどくさいとかそういう冷めた理由で拒否していたのですが、 中学のコーチは怖かったのでキャプテンをやっていました。そこでは今振り返ると、コーチがどんなことに対して怒っていて、どんなことを嫌がるのかを自分なりに学習して、それを部員に伝えて、徹底させていました。そしてそれはほとんどサッカー以外の面でした。練習への遅刻、練習態度、挨拶など。怖かったからやっていたのもありますが、自分の視点からコーチの視点という一個上の視点から組織を自分が見ることでチーム全体をコーチの怒りから守っていた(笑)つもりです。実際、自分たちが最高学年になった時は上級生の例から学んでいたことで、あまり怒られずにすみました。(笑)サッカーでは僕はキャプテンとしてあまり活躍できませんでしたが、そのマネジメントの部分には満足していました。

高校時代

高校の時はすごく葛藤しました。それは自分たちの監督が来年異動することが決まり、それに伴ってその監督が自主性を持たせようと試みていた時です。監督が自主性を持たせるために突き放すことに対して部員たちが反発し、内部分裂の危機に陥ったのです。監督としては、自分がいなくなった後に選手たちだけで運営できるようになってほしいからやっているけれども、選手たちとしてはサッカーやれればいいから、練習を選手に任せるのは単に監督が仕事をしていないだけのように写るのです。

部長の僕はその板挟み状態になっていました。中学時代からコーチはどんなことを考えているのかを考えていたから監督の意図もなんとなくわかるし、でも選手たちはそれぞれ部活について、勝ちたい人、サッカーしたい人、みんなと仲良くしたい人、それぞれ価値観を持っていることも普段ずっと一緒にいたため理解できたのです。そして、僕が辛かったのは部長だけれどそんなにサッカーが上手くないから、発言力があまりなかった点です。そして、自分としてもどちらが正しいのかわからない。その経験を通じて、当時は「ああ人ってのはお金が絡まないと動かないのかもな」と半ば諦めたのを覚えています。

大学時代

僕は一年生の時に受験コーチングを一生懸命やっていました。それはどんなものかというと、勉強ではなく勉強法を教え、勉強以外の生活や考え方を日々振り返りながら、週に一回の対話を通じてどう改善し、成長していくのかを伴走しながら支援する仕事です。

まず始めた理由は自分が受験に成功したという自負があり、自分なりの方法論が確立されていたから、それに基づけば誰でも受かるとおごっていたからでした。その前提が壊れたのは、まず人と向き合う上での葛藤でした。しかし、そのおごっていた気持ちが生徒の成長を阻害していることを内省をする中で気づき、その認識を捨てることで指導がうまくなっている感覚に喜びも感じていました。毎週の指導で成長を自分自身が感じ、生徒と共に振り返り成長していくことって楽しいし、これを仕事にしたいと思いました。

また、「金が絡まないと人は動かないという」悲しい思い込みはサークル活動を通して変わりました。

2年生の初期に自分が大学生にとって有益なコミュニティを作りたいと考えて、1人の子を誘った時でした。2時間強の対話を4回ほどしたでしょうか。自分が誘った理由から始まり、自分がどんなビジョンを描いてやろうとしているのか。そして、自分は過去どのような人生を送ってきたのか。また、それと同じように、相手の考えていることや、今やりたいこと、将来についてどのように考えているのか。また相手がどうしてそのように考えるようになったのか。というバックグラウンドを知るためにとにかく過去について聞きました。そうして、合計10時間ほど経て一緒の方向を向いてやろうとお互いに同意して進んでいきました。

彼は全く自分とは違うタイプなので、互いに補い合う関係ですごく助かっています。そんな彼とは将来起業したいと思っています。

その経験から、「ああ人は金じゃなくて、どれだけ対話をしたかで一緒に進んでいけるのかが決まるのだ」と思いました。

これらから伝えたいこと。過去は活用するもの

これは、僕は大学に入ってもっとも尊敬している人から学びました。自分がどんな領域で活躍したらいいかわからない人はすごく多いんじゃないでしょうか。プログラミングやっておけばいいのか、英語なのか。もちろんそのような大きな社会の流れを見ることも重要です。

しかし、それだけだと会社に入って、あれ、俺何したいんだっけとなりかねません。

仕事とは、人が個性を発揮し社会に貢献する喜びを知るために手段だと自分は考えています。しかし、最初に書いたように自分の個性とはなんぞやと。周りと見比べてみても、自分より優秀な人はたくさんいるなとか、自分は特筆すべき点はないなと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。しかし、過去というのは人と絶対違うのです。誰一人同じ人生を歩んできた人はいません。だから、活用するのです。過去を振り返り、自分のストーリーを紡ぎ出す。それをすることで、自分の領域や分野というのは少しでも見えてくるのではないでしょうか。

しかし、その振り返りも難しい。それもそのはず。なぜなら、学校で教えてくれないからです。学んでいない人がほとんどなのです。だから、今回は振り返るときの二つのポイントを紹介します。この二つの観点で過去を振り返ってみると自分の領域が見えてくるかもしれないです。

1.好きこそものの上手なれ

これは僕で言うゲームや受験指導での成長です。特にゲームですね。誰もやっていないのに、チームを分析してノートに書き込んだり、経営について本を読んだりする。なぜなら楽しいから。しかし、そうじゃない人からするとゲームのためにノートとることや本を読むことは苦痛だったりするのです。このように、自分が好きなこと、頼まれなくてもやってしまうことは注目する必要があります。なぜなら、勝手に自分が努力してくれるからです。つまり、将来の伸びはばが大きいと予測されるのです。例えば、自分が絵がめちゃくちゃ好きだけど今は下手で、絵が嫌いだけど今は自分より上手い人は、おそらく10年後に自分の方が絵が上手くなっている可能性が高いと言う原理と同じです。なぜなら努力量の違いが生まれるからです。

2.何に葛藤したのか

これは僕の高校の例です。僕は高校の時に、部長という立場にいたおかげで苦しみましたが、その分組織についてすごく考えました。その経験というのが、今は活かされていて、サークルなどでも自然に組織視点で物事を見れるため、中心に立って進めることが多いです。このように、自分が葛藤した経験によって自分が身についたものを知ることは重要です。なぜならそれが自分の強みになり得るからです。例えば、文化祭の企画づくりをお人好しで1人で引き受けちゃって悩んだ経験がある人は、いつのまにかアイデアマンになっていたりするわけです。振り返ることで自分の強みを発見し、それを活かせる場所に自分を置くとこまでできたら最高ですね。

おわりに

今回は少し長めに書いてみました。

ぜひ、時間がある時に自分の過去について振り返ってみてほしいです。

それを通じて、過去は活用するものという認識を持てると、結局自分は経験でしか作られてないことがわかり行動量も増えるという特典も生まれるのではないかと思います。

それでは。

前回の記事:組織と人について~人との向き合い~①

〈文=早稲田大学 政治経済学部政治学科 2年 蛯名 健人 (noteFacebook,ライター自己紹介記事)