社会

人類と原子力の付き合い方を考える ~『原子・原子核・原子力』を読んで~

75年前の8月、日本に2発の原子爆弾が投下され、多くの方々が犠牲になりました。

9年前の3月、地震と津波が直撃した福島第一原子力発電所から大量の放射性物質が流出しました。

原子爆弾は戦争の兵器、原子力発電所は電力の供給を目的としています。その役割は違えど、双方ともに原子力(より正確に言うならば核力*1)を利用した技術であることに変わりはありません。

*1:原子核の構成粒子(中性子と陽子)同士を結び付けている力

さて、火が人体にとって危険であることは明らかでしょう。触ればヤケドしますし、小さな火の不始末が大きな火災につながります。これは今も昔も変わりません。

しかし人間は、燃やすことによって得られる熱や光を調理や暖房、照明に使うようになりました。つまり人間は火を扱う技術を磨き、火がもたらすリスクを小さくする一方で、火から得られる利得を最大化してきたと言えます。そして実際にその目論見が成功したからこそ、現代でも火は多くの場面で使われているのではないでしょうか。

それでは、20世紀の人類が新たに手にした「原子力」という火がもたらす利得とリスクのバランスはどうでしょうか。仮に利得があったとしてもリスクが莫大であるならば、「原子力」という火は使うべきではないと考えるのが妥当ではないでしょうか?

今回の記事では、山本義隆氏の著作『原子・原子核・原子力』を紹介します。人類と原子力の付き合い方を考えるうえで必ず役に立つ一冊だと思います。

目次

  • 20世紀のモンスター・プロジェクト ~マンハッタン計画~
  • 原発という副産物
  • 原発の問題点
  • まとめ

20世紀のモンスター・プロジェクト ~マンハッタン計画~

1939年、ナチス支配下からアメリカに亡命してきた物理学者アインシュタインは、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトにとある警告を述べました。それは「ナチスが、核分裂を利用した新しいタイプの極めて強力な兵器を作る可能性がある」というものでした。この兵器というのは、つまり原子爆弾のことです。

この一通の書簡がきっかけとなり、立ち上げられたのが「マンハッタン計画」です。

この計画の当初の目標は「ナチスより先に原子爆弾を完成させ、ナチスの原爆利用をけん制すること」でした。つまり計画の当初は「抑止力」として原爆が開発されていました。

この計画には当時、世界最高クラスの頭脳が招集されました。アメリカの指導的物理学者ロバート・オッペンハイマー、「核時代の建設者」と呼ばれるエンリコ・フェルミ、量子電磁力学の発展に寄与したリチャード・ファインマンらが参加しました。

このようにアメリカを含む連合国側では、多くの超一流科学者が中心となって原子爆弾の開発が進められていました。

一方ドイツでは1942年に原子爆弾の開発が事実上断念されていました。理由は経費や資源、技術不足にあったといわれています。つまり抑止力としての原発を作る必要性は、ドイツが技術の壁に阻まれた時点で消滅したといえます。著者は、少なくとも1944年の時点で連合国側がそのことを認知していたとしても不思議はない、と述べています。

しかしながら、莫大な経費と資源、そして労力が投入されて動き出してしまった巨大プロジェクトが止まることはありませんでした。

結果として完成してしまった原子爆弾は1945年、日本の広島と長崎に投下されて多数の犠牲者を出してしまいました。著者である山本氏は「原爆製造は20世紀物理学の原罪のように思われる」と述べています。

原発という副産物

第二次世界大戦終結後、アメリカを中心に「原子力の平和利用」が唱えられるようになりました。「平和利用」というと聞こえがいいですが、実際にはアメリカがマンハッタン計画に投下した莫大な資本回収や核技術を通じた優位性確立のための方針だったようです。

こういった情勢の中で原子力発電所の開発が進められていくわけですが、開発の過程では戦時中の原爆開発で蓄積されたデータや知見が役立ちました。山積していた技術的課題が解消されていき、1950年代に入ると世界各地で原発の建設が始まりました。1965年には、日本初の原子力発電所である東海発電所の運用が始まっています。

原子爆弾と原子力発電の原理的な違いは反応が進むスピードにあります。核分裂の連鎖を瞬間的に起こせば、一瞬の間に莫大なエネルギーが生じて原子爆弾として機能します。一方その反応をゆっくりと起こして、少しずつ生じるエネルギーを取り出す場合は原子力発電所になります。

このような歴史的・技術的背景をみると、原子爆弾と原子力発電の間には密接な関係があることがお分かりいただけると思います。原子爆弾の開発や研究がなければ原子力発電の実装は大幅に遅れていたかもしれないことを考えると、原子力発電は原子爆弾の「副産物」であると言うこともできるのではないでしょうか。

原発の問題

それでは本題である「原子力利用の是非」の話に入っていきます。

著者の山本氏は原発が抱える原理的な欠陥を指摘しています。それは廃棄物無害化に要する時間の長さと、廃棄物保管場所の不足です。

一つ目「無害化にかかる時間の長さ」についてですが、原子力発電の燃料として用いられる濃縮ウラン*2を反応させてエネルギーを取り出すと、それと同程度の量の燃えカスが生じます。燃料と同様、燃えカスも極めて高い放射性をもつ物質なのです。

*2:天然ウランの大部分は核分裂しない安定なウラン238で、燃料になるウラン235は0.7%しか含まれていません。ウラン235割合を3~5%に増やしたものを濃縮ウランと呼びます。

放射性物質が安定化するためには極めて長い年月を要することが知られています。例えば核燃料の燃えカスに含まれる放射性物質の一つ、セシウム137が10万分の1になるまでには約500年かかるといわれています。同じく放射性物質であるプルトニウムに至っては10分の1になるために8万年もの歳月を要します。人間文明の尺度からすれば、放射性廃棄物が無害化するのにかかる時間は事実上無限大といってよさそうです。

このことを踏まえて本書では、『原子力は「消せない火」である』という表現が紹介されています。

二つ目「廃棄物保管場所の不足」についてですが、先ほど述べたように、放射性廃棄物が無害化するためには10万年というスケールの時間が必要になります。

10万年もあれば地形は大きく変わります、日本のようにプレートの裂け目にあって火山活動も活発な国ならばなおさらです。

その間、安全に廃棄物を保管できる場所は存在するのでしょうか?もし保管容器が壊れ、放射線が地下水系に漏れ出してしまったら?その対応に追われるのは現在世代の私たちではなく、このさき10万年も先の将来世代なのです。

実はこの懸念点は原発運用前から指摘されていたことであり、物理学者の武谷三男氏は「原発はトイレのないマンションを建てるようなものだ」と批判しています。

まとめ

  • 核の軍事利用(原子爆弾)から平和利用(原発)への転換
  • 事故ゼロで原発運用できたとしても、放射性廃棄物の問題からは逃れられない
  • 核燃料の燃えカスは「消せない火」、原発建設は「トイレのないマンション」

いかがだったでしょうか?

人類が原子力利用の平和利用を実現し、その恩恵に私たち一人ひとりが与ってきたことは紛れもない事実です。しかしそのことは、今後も原子力利用を推進する理由にはなりません。原子力発電が抱えるリスクがベネフィットをはるかに上回っている以上、原子力に頼り続けるのは賢明とは言えないのではないでしょうか。

エネルギー供給は持続可能な社会構築の上で外すことのできない最重要テーマ。核燃料や化石資源に頼らず、新しいエネルギー供給の形を構築していく必要性を強く感じました。

【参考文献】

原子・原子核・原子力――わたしが講義で伝えたかったこと (山本義隆著)

〈文=早稲田大学 先進理工学部応用化学科 3年 千島 健伸(note)〉

当ライターの前の記事はこちら:ノート大好き人間が語るシリーズ④ ~「媒体」~

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