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米百俵の精神で明日の未来を創る

目次

  1. 小泉首相の所信表明演説にも引用された「米百俵」の精神とは何か?
  2. 戊辰戦争に敗戦した長岡藩に米百俵が送られる
  3. 「校舎建築の資金源にしたい」長岡藩士の小林虎三郎が米百俵を売却すると宣言
  4. 「この百俵は尊いものになる」米売却に憤る藩士を説得し、校舎を建築
  5. 「人づくりこそ全ての根幹である」 小林虎三郎の精神
  6. 今でも受け継がれる「米百俵の精神」

1.小泉首相の所信表明演説にも引用された「米百俵」の精神とは何か?

「今の痛みに耐えて明日を良くしようという『米百俵』の精神こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか」小泉内閣総理大臣の所信表明演説で引用され2001年の流行語大賞にも選ばれた『米百俵』とは一体何なのか?調べてみた。

2.戊辰戦争に敗戦した長岡藩に米百俵が送られる

米百俵とは、新潟県長岡市の長岡藩が行った教育にまつわる戯曲である。長岡藩は幕末、奥羽越列藩同盟に加入し、新政府軍と徹底的な戦闘を行った。その結果、敗戦し、石高は7万4千石から2万4千石に減らされ、長岡は焼け野原となった。長岡藩の窮状に支藩である三根山班から米百俵が見舞いとして送られてきた。当時米百俵は当時の相場でおよそ金270両前後。そば一杯がおよそ24文、金1両は約10,000文であったので、いかに大きな送り物であったかがわかる(長岡市米百俵財団HPより)。2020年の小売物価統計調査によると47都市でのそば(外食)の平均価格が619円で、当時の相場で1両約416食、食べられることを考えると、現在の価格で約6952万円の価値があったと考えられる(目安として比べるものによって、同じものであっても、その値段は江戸時代の時期によって異なるため今の価値に換算することは参考程にしかならないことをお断りしておく)。

3.「教育の資金源にしたい」長岡藩士の小林虎三郎が米百俵を売却すると宣言

物語の主人公は佐久間像山の門下生であった長岡藩士の小林虎三郎である。虎三郎は長州の吉田松陰と共に「像山門下の二虎」と称せられ、像山に「天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、我が子を託して教育してもらう者は小林のみである。」と言わしめるほど、優秀な教育者であったと伝えられている。前述の戊辰戦争に際しても、長岡藩が参戦することに反対の立場を取っていたことからも、先を見据える能力に長けていたと考えられる。そんな虎三郎は、三根山藩から見舞いとして支給された米百俵を資金源として、校舎建築や書籍、器具の購入費に充てると宣言し、食べるものがない藩士は反発した。

4.「この百俵は後年に尊いものになる」米売却に憤る藩士を説得し、校舎を建築

「早く米を分けろ」といきりたつ藩士に向かって虎三郎はこう語りかけた。「この米を。1日か二日で食いつぶして何が残るのだ。国が興るのも、滅びるのも、まちが栄えるのも、衰えるのも、ことごとく人にある。この百俵の米をもとにして、学校を建てたいのだ。この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、計り知れないものがある。いや、米俵などでは、見積れない尊いものになるのだ。その日暮らしでは、長岡は立ち上がれないぞ。新しい日本は生まれないぞ」と語り、藩士の怒りを収めたという。敗戦後、文武総督に推挙された虎三郎は、「時勢に遅れないよう、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、優れた人材を育成しよう」という教育理念を掲げ、戦火を免れた四郎丸村(現長岡市四郎丸)の昌福寺の本堂を借りて国漢学校を開校し、子どもたちに論語の読み方を教えていた。米百俵の売却後は、その資金を基に国漢学校の新校舎を坂之上町(現大手通2丁目)に建設し、洋学局、医学局を設置した。それまでの藩校というと、漢学を中心に教えていたが、国漢学校ではそれだけではなく、日本の歴史や国学、洋学、地理、物理、医学を質問形式の講義で学ぶことが出来る藩校だったという。更に、藩士の子弟だけでなく、町民や農民の子どもも入学を許可され、身分にとらわれず誰でも入学ができたという。

5.「人づくりこそ全ての根幹である」虎三郎の精神を汲む学校から優秀な人材が多数輩出

国漢学校自体は明治3年(1870年)の長岡藩廃藩で、わずか2年で名前が無くなった。しかし、長岡にはその流れを汲む学校が数多く生まれた。それらの学校の基本理念は、「何事も基本は人。人づくりこそ全ての根幹である」という虎三郎の考え方が貫かれていた。これらの学校は近代日本の発展に貢献した長岡が全国に誇る人材を多数輩出した。どのような人物を輩出したかというと明治憲法の起草に尽力した法学博士の渡邊廉吉、東京帝国大学総長の小野塚喜平次、海軍の山本五十六元帥だ。

6.今でも受け継がれる「米百俵」の精神

昭和20年8月1日、長岡は空襲によって再び焼け野原となったが、不屈の精神と自立心で長岡の復興に尽力した。小林虎三郎が唱えた「米百俵」の精神は、時代を超えて受け継がれている。

<文=末田椋資>

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