『古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家』という本を読んで感じたことを書きたいと思う。
タイトルから分かる通りイギリスと日本の住宅観が対照的に論じられている内容である。両国間の違いに目を向ける前にまずイギリス人の「住まい」に対する姿勢がどんなものか知る必要がある。
本書の冒頭では、コッツウォルズやロビン・フッズ・ベイなどの調和美を持ったイギリスの街並みが紹介されている。喧騒とは無縁でおとぎ話の世界のようなコッツウォルズの街並みや、赤茶色の屋根が連なり歴史を感じさせるロビン・フッズ・ベイの風景を見ると、イギリスの人々は「個性」や「調和」をとても重要視していることが分かる。
(各地域の観光案内:(コッツウォルズ)https://www.hankyu-travel.com/guide/uk/cotswolds.php(ロビン・フッズ・ベイ)https://www.visitbritain.com/jp/ja/robinhutuzubeirobin-hoods-bay)
そのこだわりは家の部材一つ一つを見ても分かる。例えば、ドアには重厚なパイン材、外壁には無骨だが味のあるブリックを使い、ドアノブやフックには真鍮製のアンティークを、ガーデンゲイトは鍛冶職人が手作業で作ったものを求める。人の手によるものは精確さという点では大量生産による規格品に劣るかもしれないが、それは独特の温もりを醸す唯一無二の作品に違いない。そしてそういった部材の集積である家屋全体もまた世に二つとない個性を放つ。
またDIYはもちろん、日本であれば業者に頼むようなことまでイギリス人は自分たちの手でやってしまう。ペンキが剥げたドアをペイントし直し、電気配線を整備し、外壁の目地にセメントを塗り込み、お気に入りの家具には丁寧にワックスを塗り大切に使う。筆者によると、イギリスの人々にとってそのような作業はプラモデルと同じで趣味のようなものらしい。もしかしたら、このようなイギリス人の傾向は「家いじり」と呼ぶにふさわしいかもしれない。
「家の「個性」は、良質な素材が家主のこだわりの下で組み上げられて長い間手入れされることで生まれる」イギリス人はこのように考えている。そのため、日本の「築20年で家屋の価値が失われる」という住宅事情からすると信じがたい事だが、イギリスでは築50年、100年の家がもてはやされる。それは家主のこだわりと長い年月、そして愛にあふれた「家いじり」が個性的な家を生むことになるからである。
一方、日本の家づくりはというと、建築士の神﨑隆洋氏(かんざき・たかひろ)が『いい家は無垢の木と漆喰で建てる』(文春文庫)で指摘している通り、材料にこだわられることはない。紙とビニールで作られた幅木(壁と天井との境につけられる部材)、中身がボール紙のドア、重くて耐久性の無いセメント瓦など、とにかく低コスト化と規格化とが推し進められ、イギリス人がこだわる「長い間住み続ける」というポイントが踏まえられていない。
また和洋折衷と言えば聞こえがよいが、日本のいわゆる「洋風住宅」はイギリス人の目にはちぐはぐなものに見えるらしい。家屋は洋風レンガ造り、庭園は大きな松の木を主役とした日本庭園。筆者の友人のイギリス人は、その様子を見てこう言ったらしい。「家も庭園もどちらも立派なのに、それを一緒にしてしまうなんて!あれを良しとする感覚が僕にはわからない」と。
そして、家は新築こそが至高である、という固定観念の存在も大きな違いだ。それは結局、素人が下手に手を入れて資産価値が落ちてはいけないとか、家屋が古くなって価値ゼロになる前に手放してしまおうか、という発想につながる、と筆者は指摘する。さらに、シャワートイレに代表される「高機能設備」は、その性能向上のペースがあわただし過ぎるあまり、古いタイプの設備はすぐに陳腐化してしまう。利便性を追求するならば無論、新しい設備が欲しくなるが新しい設備に付け替える位ならば、今の家を手放して丸ごと新しくしてしまおう、となる。
このようにしてみてみると、「家づくり」においてイギリス人が「個性」を大切にしている一方で日本人は「利便性」や「資産価値」に重きを置いているような気がする。
そしてさらに感じたのは、この傾向は「家づくり」に限った話なのだろうか、ということだ。もしかすると家に対する接し方や考え方はそのまま、自分自身へのそれと同質なのではないだろうか。
一般に、人間の幸福度は年を重ねるごとに低下していき、中年の時期に下がり切った後、上昇へと転ずるというU字型を描くことが知られている。そして多くの国では、老後の幸福度が幼少期のそれを上回るほど上昇するのだが、日本では老後の上昇分がほとんどない。[1]
誰だって年を取れば昔のように体を動かせなくなるし、目がかすみ耳も遠くなる。頭の回転だって若いころの自分に及ぶはずがない。給料だってもらえなくなり蓄えと年金に頼るしかない、手塩にかけた子供たちも自立し親元を離れていく。誰かが「目に見えるものはいつか滅びる」と言った通り、目に見えるところだけを見たら、年を取ってからは落胆するしかない。それが日本人の幸福度推移に現れていないだろうか。イギリスの人々が家の「利便性」や「資産価値」ではなくあくまでも「個性」を志向し追求したように、私たち日本人も自らの見えない「個性」つまり自分の心や考え、精神に目を開き、それを磨く楽しみを知って生きていけたらいいのかもしれない。
参考文献
[1]内閣府, 「平成20年版 国民生活白書」,
https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9990748/www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/honpenzuhyo/honpen.html
(全般)
・井形慶子著, 「古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家」,大和書房(2001)
・神﨑隆洋著, 「いい家は無垢の木と漆喰で建てる」, 文春文庫(2009)
〈文=早稲田大学 先進理工学部応用化学科 3年 千島 健伸(note)〉
当ライターの前の記事はこちら:『天才たちの日課』を読んで
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